Noriko Shimosaka
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父との別れ Blog

来週、父の49日です。   ここ1、2ヶ月の記憶が、あまりありません。 色んなことがありすぎて、気持ちが追いつかない。そんな毎日でした。   親の葬儀なんて、想像もできませんでしたから。 私は幼少の頃、「お父さんとお母さんが死んだら、私はどーなるの?」と言って 泣いたことがあるそうです。 なんて現実的な子供だったんでしょうか。笑 多分、そのくらい怖いことだったんだと思います。親がいなくなってしまう現実が。 でも大人になっても、変わらないですよね。親の死が怖いと思う人は大勢いると思います。 だけど、誰にでも訪れる現実です。   親が目の前で逝ってしまったら、自分はどうなるんだろう。どんな気持ちになるんだろう。 余命を告げられた時点で、何度も何度も自分の頭の中でシュミレーションしました。 でも、何も浮かばなかった。 結果は、自分でも見たことのない、感じたことのない想像を超えた自分がそこにいました。   大切な人を失った喪失感は、消えることがないそうです。 息を引き取ったその光景がずっと頭に残ったまま、後悔とか感謝とか、処理しきれない感情と共存していかなくてはいけない。   父が亡くなった直後は受け止められず、父は今どこにいるのか、あの世というものがあるなら、私たち家族と今後はどう繋がって行くのか、どこの誰に向かって手を合わせたらいいのか、全てが理解できませんでした。 お骨の前で手を合わせても、一言も言葉が出てこない。 そんな日々がしばらく続きました。   日本の法要って、仏教って、本当に良くできているなと思いました。 初七日、27日、37日、47日、57日、67日、そして、49日(77日)と、お坊さんのお経を聞いているうちに、心が落ち着いて行くのを感じましたから。 時間だけが心を癒してくれるんでしょうね。   「死」を目の当たりにした結果、「生」について、ものすごく考えるようになりました。 生きるってなんだろうって。 父の死は、いずれ自分もこうなるっていう現実でした。 そうすると、人間ってどうして生まれて来るんだろうとか、生きて行くことにフォーカスするようになる。   自分軸を持って生きる。   父からの最期の教育は、これだったと思っています。   それから、親の葬儀に関わって見て、初めてわかったことがあります。 それは、49日まではお骨の周りをたくさんのお花で飾ってあげるということ。 仏様になったら、「香りを食べる」そうで。 お線香や花の香りが、何よりも供養になるんです。   市場から大量に花を仕入れて、毎日、花を飾っていました。 深い悲しみの中にあっても、花に触れる事は、私にとって大きな癒しでした。 花仕事をしていて、本当によかったと心から思いました。。。 父にも最後の親孝行が出来た気分でした。   と同時に、お悔やみの花は、もっと豪華にして提供しようと心に決めた瞬間でもありました。 香りの強い花を入れることも、スタンダードにして行こうと。   4月から、花仕事を再開します。 止まったままのサイト記事も、順次UPしていきますね。 花の件でもいろいろとありましたので、また改めてブログ書きます。